それにしても、観察すればするほどに地球というのは不思議な星だ。
多くの者が、ある者は血眼にさえなり、地球に興味を示すのも分かる。
図書館にある本もほぼ地球に関するものである。
多様性に満ち、だから同時に可能性に満ちている。
いや、満ちていた、と過去形で言いたくなる現状ではあるが。
地球人のほとんどが豊かに暮らしたいと願いながら遠回りをする。
あの3次元世界では、心惑わすものが多くあるのだ。
それはしかし他から与えられたものではなく、人間自身が作り出したものである。
まったく。なんとも。

特性上、わたしたちは物事を多次元で見ることができる。
どう見ても、どこを見ても、地球上の人々の願望はほぼ共通している。
魂の願望といっていい。
それを惑わせる自我というもの。
しかし、それでもわたしたちからすると、その自我とやらは非常に興味深い。
彼らにとり、自我とはなんぞ。
我らにとり、自我とは。

わたしたちに自我はない。
それがどういったものか、わたしたちは地球から学ぶ。
自由な意識は自我により閉じ込められる。
その不自由さにすべてが凝縮されるのだ。
それはめくるめく宇宙の煩悩であり絶頂であるとわたしは思っている。
これはわたしたちにとっての真実であるが、わたしたちの次元や他の次元、
すべてを反映するのが、3次元である地球なのだ。
もちろん、多次元は結局はひとつに繋がっているので、わたしたちにもそれは反映される。
しかし、地球ほど顕著なものは他にはない。
開かれ、自由であるというのはたしかに可能性に満ちているが
少しつまらないものでもあるのだ。
あなたはコンピューターの箱の中に世界を作る創造主であるとしよう
あなたは決まりごとをいくつか作らないだろうか
天変地異を決しておこさないと誓えるか
地球はあらゆる存在にとって自由の星だった
実験場であると言ってもよいと思う
それは地球人にとって不自由を生んだのだが。
それこそが多様性であり、自由があるところに不自由があるという原理に基づいた。
いま、わたしは地球についてのある本をめくる。
こうしてる間も残虐で目的を失った争いは繰り返されている。
地球は滅びるかもしれないと思う。
実際には何度か滅んでいる。
こうして冷静に観察しているわたしたちは、
それでも決して滅亡を望んではいない。









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